パソコン自作部屋


Intel VS AMD

IntelとAMDのCPUを比較しながら、ここ10年ほどでCPUがどのように進化してきたのかを復習する。競争があったからこそ生まれたといえるCPUもあり、調べていくとなかなか面白いことがわかる。

ギガヘルツ神話

時は2000年、Intel Pentium と AMD Athlon の高クロック戦争は熾烈を極めており、まさにどちらが先にクロックをギガヘルツの大台に乗せるか、という状況だった。先行したのは Athlon で、「ギガヘルツ戦争」はAMDの勝利に終わった。しかし単位が変わったからといって突如性能が劇的に上がるわけではない。特に、初めてギガヘルツを達成したCPUはマージンなどで少々無茶をしていたようで、勝利宣言をするためのデモンストレーション用CPUだった可能性が高い。

まだまだ続く高クロック戦争

ギガヘルツに到達しても、戦いは終わらない。その後、AMDはThunderbirdというコアを開発し、クロックも1.4GHzまで伸ばす。このThunderbirdコアのCPUはヒートシンクの取り付けミスによるコア焼失が多発し、「雷鳥」ならぬ「焼き鳥」という愛称で親しまれた。

一方、クロック勝負で一度負けたIntelは極端すぎるほどクロックアップに偏重した戦略を取ることになる。Netburstアーキテクチャ、Pentium 4の登場である。このCPU、実は同じクロックで見たらPentium 3より性能が低いのである。だが、それを補って余りある超高クロックCPUを開発し続けた。クロックはすぐさま2GHzを突破、さらに3GHzの壁を破るのにも1年程度しかかからなかった。

その頃AMDもAthlon XPという新型のCPUを開発し、クロック上昇による性能アップを図っていた。しかしながらNetburstの狂ったようなクロックには敵わず、その存在は影に隠れたものであった。このあたりでAMDがクロックを主張するのを控え、製品をモデルナンバーで呼ぶようになる。例えば、Athlon XP 2000+ という具合である。2000+というのは2GHzという意味ではなく、実クロックは1.66GHzだった。しかし1クロックあたりの性能ではPentium 4よりAthlon XPの方が若干上であったため、2000+というのは「Pentium 4でいうと2GHzぐらいの性能ですよ」という主張だと言われている。ただし、これに関する公式発表はない。

それでも高クロックのIntel、降りたAMD

Pentium 4が3GHzを突破した辺りで、何かが狂い始める。たった1-2年で1GHzから3GHzまでクロックを上げたにも関わらず、それから数年、全くと言っていいほどクロックが上がらなくなったのだ。この状況を打破するため、さらに内部の回路を改良し、高クロック動作がしやすくなったPrescottというコアを打ち出す。しかし、これには2つの落とし穴があった。1つ目は、従来よりさらに1クロック辺りの性能がダウンしたこと。2つ目は消費電力やリーク電流による発熱が大きくなりすぎ、これ以上のクロックアップは設計上可能でも現実的には実現不可能だったということである。結果、Prescott一つ前のNorthwoodよりも性能が低く消費電力が高い、最低最悪のCPUとして一世を風靡してしまった。現在のNetburstといえば「大失敗」という認識だが、それはほとんどこのPrescottコアを指している。少なくともNorthwoodコアはそこまで悪くはなかった。

一方、一度は1GHzを制したAMDだったが、この頃にはクロック勝負を完全に捨てていたように思われる。比較的性能のよかったNorthwoodに押され気味だったAMDであるが、起死回生の一手としてそれまでサーバーに使われていたOpteronのコアを改良し、新たにAthlon 64として売り出した。この Athlon 64 というCPUはクロックは低いが、メモリコントローラーやHyperTransportの実装によりCPU周りのデータ転送を高速化するなど、とにかくボトルネックが少ない設計になっていた。クロック一点突破型のPentium 4とは非常に対照的だと言える。

Prescottで壮大に失敗したIntelに対し、AMDはこのAthlon 64で攻勢をかけた。これにより、かなりの自作ユーザーがPentium 4に見切りをつけAthlon 64に流れたとされる。当時デュアルコアがそれほど一般的ではなかったとはいえ、デュアルコアの最低ランク製品に4万円というありえないほど強気な価格付けをしていた辺り、かなり優勢を意識していたことが伺える。当然Intelも対抗してデュアルコア製品を出していたが、1コアですら発熱に困っている状況でコアを2倍にしたため、その発熱は恐るべきものであった。それは専用クーラーが必須というほどであり、後日振り返ると「Netburstは失敗以外の何物でもなかったがが、CPUクーラーの進化には貢献した」とすら言われる。当然Athlon 64 X2に比べると人気が上がらず、結果的に安く売られたためコストパフォーマンスは悪くなかった。

Intel Inside

なお、有名な宣伝文句「Intel Inside」すなわち「Intel入ってる」が登場したのもまさにこの辺である。もはや性能で太刀打ちできなくなったIntelがイメージ戦略に走ったかと疑いたくなるようなタイミングだ。事実「Intel製がいいんでしょ?」と言い出す人が増えたのもこの辺であり、まさにIntelが最も最悪だった時期にIntelが良いと信じる人が増えるというおかしな状況になった。宣伝の効果は絶大である。しかしCPUの戦いもまた弱い規格争いであり、売れてしまえば本当にいいものになってしまう可能性がある。そういう意味で、戦略的には大成功だったと言える。

その後の展開

その後IntelはCore2で大逆転したのちNehalem,SandyBridgeと順調に改良をすすめ、AMDはPhenom,PhenomIIとリリースするも全然敵わずIntelにフルボッコされてしまいましたとさ、めでたしめでたし

・・・そのうち書きます