科学雑話


決定論の是非 〜ラプラスの悪魔は本当に死んだのか〜

この世の未来が一意に定まるとする『決定論』、それを否定したのはボーア筆頭に提唱された『コペンハーゲン解釈』だった。対するアインシュタインはあくまで決定論を主張し敗れ去り、エヴェレットは『多世界解釈』なる歪な概念を持ちだしてまで決定論の復活を目論んだ。本稿では、これらに変わる第3の解釈を提唱する。
※本稿では数式は用いないものの、大学物理『量子力学I・II』程度の知識を前提とします。全然雑話じゃねえよ

シュレディンガー方程式

量子力学では、粒子の状態は波動関数によって表現される。古典的な"粒子"とは質点であり、量子力学では1点に収縮した波動関数がそれに対応する。この波動関数の時間発展は、シュレディンガー方程式に従う。シュレディンガー方程式は解が一意に決まる方程式であり、かつ多体問題であっても扱える。粒子数をどれだけ増やしたとしても、解くのが大変(すなわち、初等関数で表現不可能)になるだけで、本質的には何も変わらない。極端な話、宇宙全体に拡張しても同様であり、この世に存在する全粒子の波動関数もまた、シュレディンガー方程式に従うと考えることができる。

不確定性原理

一般に、決定論を否定したのはハイゼンベルクの不確定性原理だと思われている。しかし不確定性原理は、波動関数の『位置』と『運動量』を同時に収縮させることができない、という法則に過ぎず、粒子状態(=波動関数)の時間発展の一意性とは本来無関係である。

コペンハーゲン解釈

"粒子"とは、1点に収縮した波動関数のことである。では"波動関数"とは何なのか。ここで解釈問題が発生する。

ボーアを筆頭とする『コペンハーゲン解釈』は、波動関数を『2乗した値が観測した時の粒子の発見確率』であるとした。一例として、典型問題の井戸型ポテンシャルで考えよう。絶対に外に出られない特殊な箱に、粒子を1つ入れておく。境界条件がはっきりしてるので、シュレディンガー方程式の定常状態が求まる。さてここで、箱を開けて粒子の位置を観測する。すると粒子は箱の中のいずれかの場所で発見される。その発見される場所は、実験ごとに毎回変わる。しかし何度も同じ実験を繰り返して統計を取ると、波動関数の値が高い場所ほど粒子の存在している確率が高いことがわかる。

問題となるのは、確率として以外、どこに粒子が発見されるのか『わからない』ことである。この『わからない』というのが曲者である。コペンハーゲン解釈においては、難しすぎてわからないのではなく、物理状態が(確率には従いつつ)ランダムに遷移すると主張している。

アインシュタインの反論

状態の時間発展に因果律がないというのは物理の敗北である。

神はサイコロを振らない

そう主張したのはアインシュタインである。何らか未知の内部パラメータを粒子が持っており、それが粒子の存在位置を確定しているに違いない、と考えた。あくまで決定論を貫こうとしたのである。しかし内部パラメータの可能性はベルの不等式によって実験的に否定、アインシュタインの反論は空振りに終わった。

多世界解釈

それでもなお、決定論にこだわる人もいた。物理とは状態の時間発展の記述。そこの因果関係自体を否定するなど、この世に物理(物事の理り)がないと言っているも同じ。当然の流れと言える。しかし、そこで提唱された解釈は、過去の真っ当な議論からは考えられないほど歪なものだった。

観測を行った瞬間、世界が分岐する。ある場所で粒子が発見される世界もあれば、別の場所で粒子が発見される世界もある。波動関数に比例した濃さの、全ての世界が存在している。

確かにそう考えれば、世界全体の状態は決定論的である。観測者は「偶然」その場所で粒子が観測される世界に分岐したが、別の世界では観測者は別の場所で粒子を観測している。

・・・なんだそりゃ

正直、否定する気にも肯定する気にもなれない。事実、大半の研究者はそもそも興味関心をもたず、この『決定論の是非』という議論自体を放棄してしまった。食いついたのはトンデモSF小説とゲーム・漫画ぐらいのものである。

『観測機』の存在

ポテンシャルを作るために背景場として用意した『箱』というのも実際には原子・分子で出来ており、『観測』という行為もまた、超多数の光(Photon)もしくは電子・原子などとの相互作用である。シュレディンガー方程式は波動関数の時間発展を記述する方程式であり、多体問題にも応用可能である。一言で『箱の中の粒子を観測する』などと言ってしまうが、実際には箱を形成する10の20乗、30乗個の粒子、それから観測機を形成する10の数十乗個の粒子、あるいは『観測』に用いている10の数十乗個の電子・光(photon)、これら全てと、箱の中の粒子1つの波動関数の相互作用によって『箱の中の粒子の観測』がなされている。その相互作用を解くことは人間にとっては途方もなく難しいが、しかしシュレディンガー方程式に従って時間発展していると考えるのが妥当である。

矛盾に気づかれただろうか。途方もなく難しいとはいえ、相互作用をシュレディンガー方程式で記述できる限り、波動の時間発展に確率の入り込む余地はないのである。10の何十乗の波動を記述した時、箱の中の波動関数はシュレディンガー方程式に従い決定論的に収縮する。

では、なぜ確率的に決まってしまうように見えるのか。なぜ、同じ実験を2回行った時、結果が異なるのか。理由は案外簡単である。観測機側、観測に用いるphotonや電子・原子の状態が毎回異なるからだ。確かに、箱の中の粒子の状態は厳密に議論している。粒子のエネルギーを基底状態にするなどして実験をする。しかし、実験機器側は? 10の何十乗というphotonを飛ばす時、それぞれのエネルギーや位置など(つまり波動関数)を完全に議論できているだろうか。できていないどころか、観測機器側は下手をすれば常温である。つまり熱(≒ゆらぎ)を持っており、毎回異なるphotonを飛ばしていることになる。異なる波動関数との相互作用をしているのだから、結果も同じにならないのは当然の結果といえよう。アインシュタインは、粒子の内部パラメータの存在を疑った。それは間違いという結論だった。しかし、観測機側の存在という『外部パラメータ』が存在していたのだ。

シュレディンガー解釈

結論は『粒子の状態(波動関数)はシュレディンガー方程式に従い、決定論的に定まる』である。余談だが、シュレディンガーもまた決定論の支持者でありながら、論争に負けたことで最終的には物理から生物学に転向してしまったらしい。シュレディンガー方程式という美しい法則を提唱し、かつ決定論を支持したシュレディンガーに敬意を表し、本解釈を『シュレディンガー解釈』と勝手に名付けたいと思う。